排気口ワークショップ、前/後

 

 排気口(劇団の名前)のワークショップに呼んで貰ったので行った。楽しかった。主催した菊地穂波──以下、人称代名詞を「Dear(ディア)」と表すことにしますが──におかれましては三十分尺の新作を毎月一本計三本も書き下ろす作業は、胃の内容物を全て出し尽くしたのに吐瀉し続けた果てにあふれた涙をおよびじゃねえと叩かれた末にようやく血を吐くような作業だったらしい。直筆で書かれた彼の台本はインクの代わりに比喩でなく血で書かれていて私は思わず「血書じゃん」と言ったけど、それでも笑う気にはならなかった。Dearは笑ってほしかったのかもしれないが。Dearは笑っていたが。
 ワークショップの内容に関しては、冒頭に書いた「楽しかった」という感想以外のことは全部忘れてしまった。Dear、かなしいきもちかい?
 だけど(尋ねないけど)Dearだってそうだろ?
 さて、ワークショップ本編のことは、だからもう語らない。語れない。私がするのはワークショップの前と後の話だ。

 

◯前の話

 Dearの”穂波”という名前を初めて目にしたとき、私は素敵だなと思った。
 その名前を知ってから本人に直接会うまでにはガムのような時間の隔りがあった。Dearには、私より先に私の友達の杉浦が逢った。
 そのことを私に語る際、杉浦は開口一番「穂波っていう名前だから女の子だと思っていたのに男だった」と私にブーたれた。私はそうなんだと思ったがそうなんだとしか思わなかった。

 私が驚いたのはその後”穂波”にまんをじして直接遭遇したときのことだ。だって、どう見ても女の子だったからだ。水色の長袖シャツに膝丈のスカート、長髪を左右で三つ編みにし、前髪は真ん中で分けられている。ほそいフレームの眼鏡の奥で笑っていた。杉浦もその場にいたから、私は風説した杉浦をゲンコで断罪しようかとも思ったが、初対面の穂波さんの手前、やめておいた。

 そして、Dearもまた、私の風貌をみて驚いていた。
「シブヤさんって、女性だったんですか?」と言いたげな顔をしていた。私はこのての問いを、出会う人間の全員にされる。辟易していないと言えば嘘になるけれども、「澁谷桂一」なんて名乗っている手前、甘受する覚悟もまたとっくに終えていた。
 しかして、Dearは問わなかった。ひとこと、「なるほど」と言った。そして。
「僕はキクチホナミです。はじめまして。」と言った。一人称が僕だった。 なぜか、その瞬間に、いろいろなことをすべて了解できた。

 とどのつまり、私も、Dearも、どんな名前を名乗るのかなんてどうでもいいのだ。

 野暮なことを申し上げるが「名前」という点においてLGBTの問題は我々に一切関わらない。そして我々もまた、この点でLGBT問題に議論や主張を提出しない。 私も、Dearも、自分でしかないのだ。 私は澁谷桂一でしかなく、Dearは菊地穂波でしかなかった。我々はそのようにして出逢った。

 キクチホナミのキクチは菊”池”ではなく菊”地”と書くが、その名はしばしば菊”池”と誤字される。しかし。いつからか私は、もしかして誤字ではないのかも知れないと思うようになった。つまり、”わざと”菊池とされているのではないかということだ。

 私がこの考えに至ったのは、Dearが件のワークショップ台本に苦労している姿を見るようになってからだ。執筆期間、Dearは何度も「もうない、もうない、もうない、もうない、もう書けない、もう書けない、もう枯れた、もう枯れた、もう枯れた、もう枯れた」と繰り返していた。

 先述したようにDearはワークショップ台本にあたって胃の内容物を全て出し尽くしたあとも吐瀉をし続け、果てにあふれた涙をおよびじゃねえと叩かれ、血を吐くことになる。Dearは菊”地”を名乗ることで文字通り枯渇を訴え続けているのではないだろうか。一方でDearを菊”池”と呼ぶ諸氏もまた、文字通り体の中の潤沢を信用しているのではないか。

 さらに「信用」という言葉を「強要」という言葉に置き換えてみると、別の根拠が浮かび上がる。”菊池”と”菊地”の違いというのは漢字の「へん」であるわけだが、彼の主張はつちへんである。つちへんというのは見たまま土のことだ。「土」とは何か。死体がバクテリアに分解された姿だ。Dearは死にたがっている。死という比喩を展開すればそこには、もう動きたくないという手紙がひろがる。

 対して諸氏がDearに求める「へん」というのはさんずいである。因数分解された3ずいを展開すると(ずい+ずい+ずい)だ。「ずい」とは何かといえば推進を表す際に用いられる擬音である。動きたくないというDearに、周りは動くことを強要していることがわかる。

 さて、私はDearへ対する諸氏の言語下の要求を糾弾するつもりは毛頭ない。なぜかといえばキクチホナミは結局書けたからだ。枯れたと言っていたが血が体に残っていたのだ。できないやつに期待するのは酷だができるやつがやらないのは怠慢であると、かつて中学時代の先生が言っていた。Dearが悪いということでもない。できないとおもっていたができた。それだけだ。万歳である。

 

 

◯後の話

 私は、七日おきに二日開催された十二月のワークショップに両日参加した。

 その間、私はDearに会わなかった。連れ立ってお酒を呑むこともなかった。だから私は一人で酒を飲んでいたし、Dearもきっとそうだろうと思う。だけどあまりにさみしくて、私はある日──それはワークショップ二日目の前日の夜だったが──私は電話でエッチメートに電話をかけた。
「どうした?」と、もしもしも無しにエッチメートは電話に出た。
「さみしいの。」私は既に酔っていた。

「さみしいから、なんだ。」エッチメートは低い声をしている。

「来て。今すぐ来て。今すぐ会いたいの。」時計の針は十一時を指していた。

「いやだよ、めんどくさい。こんな時間に突然呼び出すなんて何かあったんじゃないのか?」

「ない。なにもない。なにか理由がないといけないの?」
「いけないね。ズポシがしたいならそれでもいいから、とにかく何か理由を挙げてくれないと。」
「ズポシがしたい」

「ズポシって言うけどね、一回じゃ終わらないだろう」エッチメートが嗤った。

「エチスがしたい」私はうなだれて言った。

「最初からそう言えばいいんだ。手間取らせやがって。だけどね、いやだよ。」

「ひどい!!」涙が出た。自分でびっくりした。

「おまえの求めるエチスは異常だ。行為の最中にお互い別の人格を降霊させて複数でまぐわう気分になりたいなんて、そんなの気が変になっているとしか思えないんだよ。」

「なぜそんなことを言うの?」
「ともあれ、そんな気分じゃないんだ。気変にわざわざ会うために自転車をこぐ体力がない。」

 さよなら、と言い残してエッチメートは電話を切った。そしてもう何度かけ直しても出てくれなかった。

 そういう気分を引きずっていたことも、私がワークショップの内容を思い出せない一員なのかもしれない。わからないが。
 ワークショップ二日目が終わった後、私とDearは酒を呑んだ。Dearと杯を交わすのは本当に久しぶりだと思った。

 私たちはいろいろな話をした。だけどいろいろな話だったものだから、どんなことを話したか、その殆どを私は憶えていない。日本酒を飲んだ。

 ふと、「シブヤさん、元気ないですね」とDearが言った。

そうかなあ、と私は笑って、それから。

「ねえ、私って、気変、つまりその──気が狂っていると思う?」

Dearは丸い眼鏡の奥で目を丸くしてから、 「ぜんぜんそんなことないですよ」そう言っておちょこで唇をぬらし笑った。

「ほんと?」

「本当です。僕は出逢ってから、シブヤさんのことをキヘンだなんて思ったことないですよ。っていうか、”キヘン”ってなんですか?そんな言葉あります?」

「わからない。でも、そう言われたんだあ・・・」

「そいつぶっ飛ばしてやりますよ。キヘンなんて、そんなの無いですよ。」

「そう・・・ありがとう。ところで突然なんだけど、私の性癖を告白して良い?」

「もちろん。」

「私は、ズポシの最中にお互い別の人格を降霊させて複数でまぐわう気分になるのが好きなんだ。」

 

「ちょっと待って下さいよ。」Dearがおちょこを置いた。

「なんなんですかそれって。」私は覚悟をした。
「マジ最高じゃないですか!!」

 

 しばらくして、排気口のnoteに三ヶ月排気口ワークショップが終わった話。|排気口|noteがアップロードされた。
そこには以下のような記述があった。

 

 改めて参加者の皆さん、ありがとうございました。そして波止場石郷愁氏と澁谷圭一氏の両氏にも感謝。ありがとうございました。

 

私の名前の”桂”一とすべきところが、”圭”一になっていた。
Dearが書いた文章だと、わかった。
 やさしい人間だ。私は先ほど、「私は澁谷桂一でしかなく、Dearは菊地穂波でしかなかった。」と書いたが、どうやらそういうわけでもないのかもしれない。しかし、

 

私も、Dearも、自分でしかないのだ。
それは変わらない。むしろ変わらない。

 

https://youtu.be/ZrOr06CMZv0