gekidanU家公演『With Home』「転がって若草」

 震える膝で最初に申し上げますと、感想とはつまり、対象を自分がどのように見えたか/どのように思ったか?なので、作者の意図を汲んでいるかどうかは分かりません。

わざわざこんなことを前置きするのは、作者の木村美月さん、演出のヒガシナオキさんの描きたい(伝えたい)テーマをわたしがどのくらい"読み解いたか"という点にわたしはわたしが心許なく、尚且つ「まぁそんなんどうでもいいと思う、弁論じゃないし」という、創作を鑑賞することそのものへの基本姿勢があるからです。

 


かなり冒頭から「これはシャレにならんのでは?」と思っていたがいやいやすごすぎる!!!!!!!!!!!!!!!!面白すぎる!!!!!!!!

 記憶力が少なく、文章をまとめる力も少ないので、以下、羅列の形式をとらせていただきます。力不足と根気の無さが情けないです。


・食事当番の若草さんが食事当番を忘れ、やれやれと呆れながら残る三人は「昨日の鍋」にちょい足ししたものを食べるわけだが、わたしはその弛緩した光景を見ながらかなり感動していた。端的だったから。

彼らは、「望んでない昨日の鍋をやれやれと食べて腹を満たす」というキャラクターなのだ。

その、「満たされないものを(無意識的に)甘受してむりやり満たす」という行為が、共同体を示すアクションを超えて、彼らの現状を、環境を、現状と環境の原因たる人間性を表している。ズバリな光景だ。

 


・若草さんを除く三人のうち、さつきとさえはテーブルで食事をするが、ゆうこは立ったままだ。

ゆうこはそうだ。ゆうこはそうだーー!!!と思った。

後ほど言及されるようにゆうこは「やなせ屋」を回しているのだ。そして彼女だけがなにがしかを執筆するのではなく、結婚に代表される「生活」を当面希求している。彼女は書生として脱落しているのだ。

皆がそれぞれ食事する中、自分の執筆をする中、ゆうこはポン酢をもらいに行き、食洗をする。

つまりあのテーブルは「書生」を表している。

だから、若草さんもテーブルにつくものの、彼は食事の途中でたばこを吸いに隔離空間に行ってしまう。そのアクションで「やなせ屋の書生」から別の場所に行く存在であることは象徴されている。そしてあのテーブルで食事を再開しない。

 


・若草さんがしばしば向かう隔離空間というのは、彼があの家の中で異物として存在しまたそのように扱われていることの象徴だけど、それよりも梯子だ!!!!梯子がかかっていることが凄い。言い換えれば、"隔離空間に梯子があってその先に部屋がある"という舞台を物語であのように活かしていることが凄い。

若草さんは執筆に際し(おそらくあの梯子の先に若草さんの部屋があるのだろう)、梯子を上る。そして時々、残りの三人のいるエリアに降りてくる。降りる若草さんはいつもおそるおそるである。そのおそるおそるさや、おどおどした態度の袂にあるのが若草さんという人間の残酷性であり、そこに他の三人が気付いているのか気付いていないのか曖昧な感じに描いているというのが作者の残虐性だ。

 


・登場人物たちは時々それぞれの理由で舞台から退室するが、さつきが退室する理由が「洗濯機を見に行く」なのが最高だった。

洗濯機とは、機内にて衣類がグルグル回る。さつきってそういう人だろう。

 


・ラストシーン、部屋から出て行く若草さんはあの光さす部屋で最後にたばこを吸う。

彼がたばこを取り出した時、おれは「たばこを吸うかと思いきや吸わないで出て行く」んだと思った。しかして彼はたばこを吸う。

あれ?と思ったが、彼は!二度ほど煙を吐き出して去ったのだ。おれはアッ!と感動した。彼が煙を吐き出す姿が、さながら出航する船のように見えたからです。

そのように見えたのです!!!!!!

 
冒頭にも批判に先んじて書いたとおり、おれは"そのように見えた"ことこそが重要だと思うし、"そのように見える/思える"ことこそが創作の意義とおれはします。

そして、"そのように見える/思える"作品がいったいいくつありましょうかという話です。

感想なんで推敲もしません。

なんだか情けなさも苛烈し、ヤケぱちな気持ちになってきました。

 

とにかく、本当に素晴らしかった。ありがとうございました…。